自分には価値があるんでしょうか?
僕は「ない」と思っていました。
自分の価値を見出せず、「何のために生きているんだろう・・・」と考える日が多々あります。
しかし、このまえ書いた、「他人の評価が気になる原因」についての記事の中で少し触れた通り、「自分の価値」に対する考え方が間違っているのでは?という疑問に行き着いたのです。
前回の記事はこちら:他人の評価が気になる原因は「自信のなさ」
そして、その「自分の価値」の考え方を変えると、「自分には価値がある」と思えることに気がつきました。
そこで今回は、自分の価値にフォーカスを当てたいと思います。
目次
自分には価値があるのか?の結論
ずっと疑っていた「自分には価値があるのか?」という疑問。
このことについて、改めて、整理しながらじっくり考えてみました。
他の人の話を聞いたり、本を読んだり、自分自身と向き合ってみたり。
そんなことを経て出た僕の結論は、タイトルにもデデーンと書いていますが、「絶対ある」です。
そのような答えになった理由を、この下に書いていこうと思います。
なぜ自分に価値がないと思う?
まずは、そもそも何で自分には価値がないと思ってしまうのでしょうか?
僕はその原因を見つけることから始めました。
どんな時に自分には価値がないと思ってしまうのか。
そのことについて、昔のつらい記憶も引っ張り出しながら、考えてみることに。
すると、僕の中では次の2つのパターンのときに、自分の価値を疑ってしまうということに気づきました。
人と比べて劣っている
僕の頭にまず思い浮かんだのは、人と比較して自分が下だと思ってしまうとき。
そんなときに、僕は自分の価値を見失います。
例えば、スポーツ。
僕は昔、野球をしていたんですが、実は高校の途中で辞めました。
理由は、自分が他の部員より下手クソに感じ、自分が野球部にいる理由を見出せなかったからです。
ミスばかりして、チームの雰囲気を悪くしてしまう自分。
チームの誰よりも、下手クソな自分。
みんなより劣っている自分。
そんな自分は、果たしてこのチームに必要なんだろうか?
そう考えたとき、僕の答えは「ノー」でした。
仕事を始めてからもそう。
自分より仕事のできる人はたくさんいるわけですが、そんな人たちと話すたびに、「この人たちがいるのなら、僕って必要ないんじゃないんかな?」なんて考えてしまうのです。
そのような感じで、僕は人と比べて自分の方が下だと思ってしまったら、自信をなくし、自分の存在価値を疑ってしまいます。
「できない」を見てしまう
2つ目は、何かができなかったり失敗するときに、自分には価値がないように感じます。
例えば、仕事の会議で、思っていることがあるのに怖くて発言できなかったとき。
言うだけなのに、そんなことでさえできないのか・・・?
会議で発言できないなんて、この場にいる意味がない。
そんな風に感じて、自分に失望するのでした。
また、野球をしていたとき、エラーをするたびに「自分はボールを取ることさえできない・・・」と思い、幻滅。
自分はいない方がマシだと考えてばかりでした。
そのように、何かができなかった時や失敗した時に凹むことはまだわかります。
でも、僕の場合、成功した場合でも、「今回はたまたまできただけで、次は失敗するに決まっている・・・」と、ネガティブに考えるのです。
つまり、過去の経験などを振り返り、「できなかった自分」に目を向けてしまうようになっています。
だから、たとえ成功したとしても絶対自分には価値がないものだと思い、自分を信じることができません。
これまでの「自分の価値」の定義
「自分には価値がない」と思うパターンのことを考えていたとき、自分が思っている「自分の価値の定義」の正体がなんとなくわかってきました。
それは、自分の価値は周りと自分との比較で決まる、ということ。
もしくは、周りからの評価で決まる。
僕はそういう風に認識してこれまで生きてきたようです。
世の中の人にどれだけ役に立てるか、どれだけ貴重な存在でいれるか。
それが自分の価値を決めるものだと、そう信じていました。
これは当然のように思います。
なぜなら、世の中に溢れる物の値段がそうやって決まるから。
商品につく値段は、2つの要素で決まりますよね。
1つは、どれだけ便利で役に立つか。
有用性ですね。
その物を使ったら、生活がすごく楽になるような物があれば、欲しい人がいっぱい出てくるし、価値がありますよね。
もう1つは、どれだけ希少性があるか。
世の中に1つしかない物は、それだけで価値が出ます。
他に替えがないわけですから、欲しい人がたくさんいたとしたら、もちろん高い値段で買う人の手に渡りますよね。
このように、世の中の商品は、人の役に立ったり、希少な物に価値(値段)がつきます。
僕は、人の価値も同じように決まると考えていました。
人の役に立てたり、珍しくて貴重な存在になれば価値がある。
逆に、人の役に立てなかったり、何の取り柄もなければ、価値がない。
つまりは、周りと自分を比較して、自分の価値が決まる。
そんな風に捉えていたのです。
「自分の価値」の3つの新たな考え方
周りとの比較で自分の価値が決定すると考えていた僕ですが、それによって苦しんでいるということもまたわかりました。
そこで、改めて、自分の価値とはなんぞや?ということを考えてみることに。
いろんな人に話を聞いたり、本を読んだりしながら、考えをまとめてみました。
その結果、「自分の価値」を下の3つの考え方で捉え直すべきでは?というところに行きつきました。
この世に存在する全てのものに意味がある
稲盛和夫さんをご存知でしょうか?
京セラを創業され、JALを再建されたりしたすごい方です。
稲盛さんの「人生」という本を読んだんですが、そこにはすごく大事なことが書かれていました。
稲盛さんは、この世に存在する物すべてに意味がある、と考えられています。
そうじゃないと、説明がつかないことばかりだ、とおっしゃっています。
その辺に転がっている石ころでさえ必ず意味があるはず、と言うのです。
僕はこの言葉を見て、すごく勇気付けられました。
つまり、存在しているだけで、すでに何らかの意味があるはずなんだ、ということ。
そう思うと、すごく気持ちが楽になりませんか?
この世に存在しているものは、意味があるから存在しているのです。
存在する必要がなければ、この世にあるはずがない。
僕たち人間も、きっとその一部です。
人の価値はみんな同じ
2つ目の考え方は、人の価値はみんな同じ、というもの。
まず、この世に存在している僕たちは、存在している時点で意味があると。
そしてその価値は、全員同じ重さで、上とか下とかそんなのない、というのがこの考え方なんです。
野球がちょっと上手いからって、人間としての価値が人より上なんでしょうか?
仕事ができないだけで、人としての価値が低くなるんでしょうか?
きっと違いますよね。
「できること」は良いことだけど、それだけのこと。
「価値」自体は何の変化もしないんです。
自分の価値は自分で決める
3つ目の考え方は、自分の価値は自分で決めることができる。
僕がずっと思っていた、他人との比較で自分の価値が決まる、ではなく、自分の価値は自分自身で定義していい、というのがこの考え方です。
わかりやすい例を見つけました。
例えば、僕はりんごが好きなんですが、僕の友達はりんごが嫌い。
僕は好きなんで、僕の中ではりんごの価値が高いんですが、友達にとってはそうではない。
その友達は、「りんごなんて価値がないよ!美味しくないし!」と言いますが、そんなことを言われても、僕の中のりんごの価値は変わらないし、りんごは価値があるんです。
つまり、僕は僕でりんごの価値を決めているし、友達は友達で決めているんです。
そう、みんなすでに価値を自分で定義しているんです。
定義していいんです。
たとえ「お前は価値がない!」とある人に言われたとしても、僕自身も「自分には価値がない。」と思う必要はないということです。
周りは関係ない。
自分の価値は自分で決めれる。
これはすごく重要なことのように思います。
僕たちがすべきこと
- この世に存在する全てのものに意味がある
- みんな価値は同じ
- 自分の価値は自分で決めていい
そのような考えに至った僕は、これからどのように過ごすべきかということを考えました。
答えはひとつ。
周りを気にせず、比較せず、自分と向き合って過ごすことです。
「これができるようになりたい!」という気持ちがあるなら、できるように取り組む。
できるようになるまで、他の人より時間がかかったとしても、別にいいんです。
周りと比較する必要はないんだから。
成長が遅くたって、自分に価値がないわけではないんだから。
僕は僕。
あなたはあなた。
もう自分の価値を疑う必要はありません。
必ず価値はあるから。
価値はみんな同じだから。
価値は自分で決めていいんだから。
あとは、自分のしたいことに取り組むだけです。
まとめ
今回は、「自分の価値」について書きました。
これまで、「自分には価値がないのでは?」と自分のことを疑って苦しかった自分ですが、今回じっくり考えてみることで、かなり気持ちが楽になりました。
僕たちには、変わらない価値が必ずある。
だから、「自分には価値がない」なんて、心配する必要はありません。
そのエネルギーを、自分が楽しいと思うことや、達成したいことに向けましょう。
僕はそのことを意識して、今後生活してみようと思います。
今はかなりポジディブになれています。
でも、時間が経つと、また元に戻ってしまうかもしれません。
なので、今後どうなったのか、また時間を置いて結果をこの記事の中で報告したいと思います。
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