他人の評価が気になる根本原因は、「自信のなさ」ではないかという結論に至りました。
僕は自分のメンタルの弱さを確認すべく、「メンタルの弱さ診断」をいくつか試すことに。
ある診断結果に、「あなたは他人の評価が気になりすぎるタイプで、それがメンタルが弱い原因」とありました。
確かに、僕は「他人にどう思われているんだろう・・・」と気になり、そして、「誰にも嫌われたくない」という気持ちがあります。
そんな気持ちがあるので、「本当はしたくないけど、良い印象を持ってもらうためにはこう行動した方が良い」というような判断の仕方で、自分の行動を決めていることが多々。
もちろん、「本当はしたくない行動」をしているわけなので、気分はよくないし、つらく感じることが何度もありました。
でも、なぜそう思ってしまうのか。
今までちゃんと向き合ったことはなかったのです。
なんとなく、「自分は生まれつきそういう風に考えてしまう人間で、変えることはできない」と思っていたからだと思います。
でも、それがメンタルの弱さに繋がっているとのこと。
なるほど。
じゃあ一回真剣にそれと向き合ってみよう。
ということで、他の人の意見や体験談を参考にしながら、他人の評価が気になる原因について、分析してみることに。
その結果、いろいろ経て思い至ったのが、自分に自信がないのが根本原因ということでした。
ここから少し詳しく書いていきます。
目次
他人の評価が気になる3つの要因
根本原因が「自信のなさ」にあると思った僕ですが、その手前に、下に書く3つの要因が存在していることで、「他人の評価が気になる」のでは?と思っています。
この3つの要因に共通して潜んでいるのが、「自信のなさ」。
ここでは、まずはこの3つの要因を見ていこうと思います。
1つ目:承認欲求が強い
1つ目の要因は、承認欲求が強いことです。
承認欲求というのは、他人から認められたい!という欲のことですね。
この欲求は、人間なら誰しも多少はあると思います。
なので、「多少ある」のは問題ないと思うのですが、それが強すぎるのが問題なのです。
なんで承認欲求が強いのかと考えたんですが、それは自分に自信がないため、周りから評価されることで、自分の存在価値を確認して安心したいからなんです。
認めてもらわないと、不安で仕方がないんですよね。
だって、自分には何もできないし、特別な力もないし。
だから、そんな気持ちを他人から評価してもらうことで埋めようとしているんです。
そうなると、もちろん、「他人にどう思われているか?」ということが全てになり、気になってきます。
これが、他人の評価を気にしてしまう大きな要因になっていると考えられます。
2つ目:プライドが高い
2つ目は、プライドが高いこと。
僕、自分に自信がないとか言いながら、プライドが高いことを自覚しています。
誰かにちょっとバカにされたり、変な扱いをされると、正直イラっとしてしまう自分がいます。
それがよくないことはわかっているんですが、反射的にそういう感情が出てきて、そのあと自己嫌悪に・・・。
そんなプライドの高さも周りの評価を気にしてしまう要因の一つになっています。
人から笑われたり、バカにされることが苦手なため、自分の発言や行動がどんな風に思われるかを常々考えてしまうのです。
「自分に自信がないとか言いながらプライドが高い」と書きましたが、プライドの高さは自信のなさの表れです。
自分に自信がないから、そんな本当の自分を知られるのが怖いから、笑われるとそれがバレるような気がして、反発しようとする気持ちが出てくるんです。
そのような形で、プライドの高さも他人の評価を気にする要因の一つだと考えています。
3つ目:自分の居場所が欲しい
3つ目は、自分の居場所が欲しいという気持ち。
僕は小中学生のとき、まさにこの気持ちに従って行動していました。
周りから嫌われ、イジメられると、「学校では生きていけない」と思い込んでいた僕は、とにかくみんなに好かれるような行動ばかりしていました。
周りから気に入られ、評価をしてもらうことで、自分の居場所を作ろうとしていたのです。
そのおかげで、小学校・中学校時代は周りから割と人気者で、敵になるような人がおらず、平穏に暮すことができていたのですが、このことが今のこの苦しみに繋がっているような気がします。
このときぐらいから、他人の評価を気にする性格が形成されていったのです。
自分の居場所が欲しいというこの気持ちも、自信のなさから来ています。
自分の意見が間違っていたり、自分が人と違っていてそれを疎ましく思われて周りから除け者にされると、もう生きていけないと思っていたのです。
だから、周りに合わせて、自分の意見を伏せて生活していました。
自分が思っていることに自信がなかったし、嫌われたあと、自分ひとりで生き抜く自信もなかったから。
「自分の居場所が欲しい」という気持ちも、周りを気にして生きることになった要因です。
根本原因は、「自信のなさ」
他人の評価を気にする3つの要因について書いてきました。
この3つに共通するのが、自信のなさ。
なので、「他人の評価を気にする」根本的な原因に「自信のなさ」があるんだろうな、というところまでたどり着きました。
自分への自信。
本当にありません。
なので、「そこが原因だったか!」という、原因がわかってスッキリした気持ちと、
「自信ってどうやったら持てるんだろう・・・」という不安な気持ちが。
「自信が持てるようになる自分」に対して自信がないという、無限ループです。
でも、ここまで来たんだから、今度は「自信のつけ方と向き合おう」という気持ちになっています。
そして向き合い始めたわけですが、まずは「なんで自信がないんだろう?」という疑問について考えることに。
そこで思い至った考えが次のようなことでした。
「自分の価値」の捉え方が間違っている可能性が。
僕は「自分が自信を失うとき」について考えてみました。
自分はどんな場面で、どんな状況で自信を失うことが多いのか。
そんなことを考えていると、一つ答えを見つけました。
それは、他人と比較して劣っていると感じる時に自信を失う、ということです。
僕は小さい頃から野球をしていたのですが、僕より上手い人を見るたびに落ち込んでいました。
仕事をし始めてからも、自分より頭が良くて仕事のできる人と話すと、かなり凹みました。
おそらく自分は、「他人より優れていないと、自分には価値がない」と思ってしまっているようです。
「自分の価値」は他人との比較をした上で決まる、という風に僕の中に定義されているのでしょう。
また、「他人に認められることで初めて自分に価値ができる」とも思ってしまっています。
「集団の中で意味のある存在でいないと、必要とされない」と考えているのです。
この気持ちが強くて、「みんなから認められないといけない」というマインドに陥っています。
でも、この考えが、この定義が間違っているのでは?と思っています。
冷静に考えると、人それぞれ価値観が違うのは当たり前で、「みんなから認められる」なんてことはあり得ないわけで。
そんな前提がありながら、「全員から認められたい」「誰からも嫌われたくない」なんていうことは、不可能なことは明確ですよね。
つまり僕は、絶対に叶うことのない挑戦にチャレンジしているのです。
そりゃ叶わないんだからつらいし、自信を失っていく一方なんですよね。
なので、この「自分の価値がどのように決まるのか」という考え方自体を変える必要があるのでは?というところにきました。
まとめ
今回は、他人の評価が気になる原因について考えてみました。
結論としては、根本原因は「自信のなさ」であり、自信をなくしている原因は、「自分の価値の定義の仕方が間違っていること」ではないか?という考えになりました。
次はその二つについて、もう少し考えてみようと思います。
まとまったらこのブログに書きますね。
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